1888年、ドイツに生まれる。1908年から09年にかけて、
ベルリンの美術
アカデミーとヴァイマルの美術学校で学ぶ。「シュトゥルム」や「アクツィオーン」などのグループを通じて、ドイツ
表現主義を知る。第一次世界大戦中は従軍するが、1916年に負傷して除隊、チューリッヒにて、ツァラや
アルプらと共にチューリッヒ・
ダダを始める。1919年、
ベルリンに戻り、絵画の音楽化を目指して、21年に最初の
抽象映画〈リズム21〉を制作する。この後、
ガボ、
リシツキーらロシア
構成主義者や
モンドリアン、ドゥースブ
ルフらザ・スティルの人々と交流を深める。形と色という基本要素をもとにした
抽象的な作品を制作する一方で、盛んに映画制作に取り組む。1926年の〈映画研究〉、27年、最初の
シュルレアリスム映画の一つといわれる〈午前の幽霊〉などが有名である。ナチスの台頭と共に1931年、早々とドイツを逃れ、主としてフランスと
スイスに住む。1941年、自由な制作を求め、アメリカに亡命する。翌年にはニューヨーク市立大学の映画研究所の所長に迎えられた。1944年から47年にかけて映画〈金で買える夢〉を
エルンストらの協力により制作した。(「亡命者の奇跡 アメリカに渡った芸術家たち」図録 1993年)