データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
しゅふぃんすきー ヴィクトル・シュフィンスキー
ウィーン工芸美術学校で、フラコヴィーナ、ミニゲローテ、フェリシアン・フォン・ミルバッハ、リンケ博士に師事。1903年から1905年、版画教習所で助手、1905年から1915年、ズナイムの帝国陶芸専門学校で教職を務める。1918年以降、ウィーン工芸美術学校で教師。戦時中の1914年から1917年制作のリノリウム版画12点「自由の喜び」、多色石版印刷「鉄橋からのズナイム」(ブリュンのライナー美術館が発行)、石版画「馬と馬丁」、戦争を題材にした木版画5点、多色石版画4点「新漫画新聞」(戦争里親のために発行)、著作「我等の若者と戦争」−自身と妻リーナの詩をつけた絵本。プラハのA.ハーゼ刊、国家紙幣、郵便切手などの原画デザイン。
カテゴリー:作家
いまクリックまたは、検索したキーワードの解説
シャガールとは?【 作家名 】 1887年ロシアに生まれる。1985年没する。ユダヤ人であるが後にフランス国籍を得る。バクストの美術学校で学んだのち、1910年パリに出る。この頃から故郷の風物を好んでとり入れる。1914年ロシアに戻り、革命後は一時期美術行政にも関わるが、22年に再びパリへ戻る。1933年にバーゼル美術館、46年にはニューヨーク近代美術館、47年にはパリ国立近代美術館で回顧展が開かれた。第2次世界大戦中は渡米するが、1947年にはフランスに戻る。1950年にはチューリッヒ美術館、63年には東京と京都で、また67年には生誕60年を記念してチューリッヒとケルンで、それぞれ回顧展が開かれた。あざやかな青や赤や黄色を用いて描かれた、花々や動物、抱擁する恋人達は、重力をこえて空を飛んでいる。スペイン内乱やユダヤ人虐殺、2つの大戦を経た彼は、永遠の愛の神話を生み出そうとしたのであろうか。油彩の他、挿絵や版画、ステンドグラスなども手がけており、今世紀を代表する画家の1人として評価されている。ニースにシャガール美術館がある。 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||