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さいとう よししげ 斎藤義重
1904年東京都に生まれる。古賀春江、東郷青児らのアヴァンギャルド洋画研究所に学び、1936年二科展に初入選、38年絶対象派協会、九室会、39年美術文化協会の結成に参加する。1941年から出版事業などに従事して一時制作を中断するが、47年から再開し、美術団体連合展、モダン・アートクラブ展、美術文化展などに発表する。1957年日本国際美術展でK氏賞を、今日の新人‘57年展で新人賞を受賞し脚光を浴びる。以降1960年現代日本美術展で最優秀賞、グッゲンハイム国際美術展で国内賞および国際賞、61年サンパウロ・ビェンナーレで国際絵画賞など受賞を重ねる。初期は独自の抽象感覚を示す抽象作品やアンフォルメル風の作品を手がけていたが、1964年から素木の板を組み合わせたレリーフ状の作品を発表、78年からは同種の素材による幾何学的な立体作品も手がける。1964年多摩美術大学教授となり、86年まで後進の指導にあたる。1978年東京国立近代美術館で大規模な回顧展が開かれる。
カテゴリー:作家
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未来派とは?【 美術用語 】 20世紀初頭、イタリアを中心に興った芸術運動。1909年2月20日、詩人マリネッティがパリの日刊紙『フィガロ』紙上に最初の「未来派宣言」を発表し、10年3月8日ボッチョーニ、カルラ、ルッソロ、バルラ、セヴェリーニがトリノの劇場で観衆を前にイタリアで最初の未来派運動宣言を行なった。新時代はそれにふさわしい生活様式と表現を必要とするとし、いっさいの過去を精算して速度とダイナミックな力の渦巻く機械文明の感覚を力強く表現することを主張した。造型の観点からは、対象の物質性を破壊してキュビズムから得た同時代性の思想を画面に定着し、運動の表現に新たな道を開いた点が注目される。運動としては1915年頃までで終ったが、ダダをはじめ20世紀芸術の諸運動に与えた影響は少なくない。印刷物を通じた幅広い広報活動をおこない、大正10年代の日本の美術・文学にも多くの影響を与えた。 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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