1867年ドイツに生まれる。1945年没する。旧姓は
シュミット。1885年
ベルリンに出て
ベルンに絵画の指導を受ける一方、
マックス・クリンガーの連作版画に触れ強く影響される。一時故郷のケーニヒス
ベルクに帰った後、1888年ミュンヘンに出る。ヘルテリヒに学ぶが、色彩表現よりも白黒の表現に自分の適性を見い出し、
エングレーヴィングと
リトグラフの制作を開始。1891年以降、診療所の医師として働く夫と北
ベルリンの労働者街に住み、貧しい生活や戦争体験を心情的共感をもって描き出す。1908年に完結した版画集〈農民戦争〉で、ヴイラ・ロマナ賞を受賞し1年間ローマに遊学。1903年から11年にかけて雑誌『ジンプリツィ
シムス』の挿絵を描く。1920年以降制作した
木版画や第1次世界大戦の戦没者記念碑などの彫刻、ポスターでの業績も知られている。
表現主義の伝統を受け継いだドイツにおけるプロレタリア絵画の先駆者の一人。