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りかるつ マリア・リカルツ
1908年から1910年、女子美術学校でオットー・フリードリッヒに師事、1911年から1915年、ウィーン工芸美術学校でヨーゼフ・ホフマンらに師事。1916年頃から1920年、ハレ、ギービッヒェンシュタインの職業学校の教師。1912年から1914年、1920年から1931年、ウィーン工房に装丁やポスターなどのグラフィック分野で関わる。他には、陶器や七宝、服飾関係、壁紙など。1915年、モード展、1920年、クンストシャウ、1922年、ドイツ工芸美術展、1925年、アール・デコ国際装飾・工芸美術展(パリ)、1930年、工作同盟展など。オーストリア工作同盟、ウィーン女性美術家同盟会員。1928年イタリアに移住し、56年に陶芸家としてローマで没した。1914年から1915年、モード・デッサン集「ディ・モーデ」に参加。
カテゴリー:作家
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バウハウスとは?【 美術用語 】 1920年代のドイツで近代デザインの中心地となった建築と応用美術のための学校。デザインと工業技術の間に橋をかける重要な役割をはたした。1933年にナチスの圧力で解散してから教授陣と学生が各地に移住したため、バウハウスの理念は多くの国々に広められ、1930年代と40年代における近代主義のシンボルともいえる存在となった。バウハウスの創設は、1919年に、旧ヴァイマール美術アカデミーとヴァイマール美術工芸学校がグロピウスによりひとつにまとめられたことに始まる。グロピウスの最初の思想は、すべてを包含する近代的で構成的な芸術を実現して、モニュメンタルな要素と装飾的な要素の分離をなくそうとするものであったが、さらに1923年には、工業的大量生産用のデザインを行う工芸家が重要であるとした。このため、バウハウスは産業界と密接に関係を持ち、多くの製品を生み出した。その特徴は非個人的で幾何学的で厳格なことであり、むだを省き素材を研究し、洗練された形を持っており、ヨーロッパの建築・応用美術に大きな影響を与えた。 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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