マティスは、はじめパリで法律を学んでいたが、盲腸で入院中に絵画を志し、モローのアトリエに入る。ここで
ルオーや
マルケと出会う。1903年サロン・ドトンヌでの彼らの激しい作品は論議を呼び、フォーヴィスム(
野獣派)と呼ばれる。その後、キュビスム、
抽象などの様々なイズムの展開のなかで、色彩を重視した自分の作風を確立し、
ピカソと並ぶ20世紀美術の巨匠となる。この作品は初期の激しい作風から、後の単純な形と明るい色、大胆な構成による作風へと移る時期の作品で、裸婦などのいる室内画を多く描いていた。この作品は石膏の
トルソと花瓶のある室内の静物画で、壁の装飾的なデザインや平面的な構成に、
マティスの特質が表れている。