ムーラン・ド・ラ・ギャレット、サノワやウサンの風車など、
ユトリロが描いた風車は350点以上を数える。
ユトリロ、母の
シュザンヌ・ヴァラドンそれにアンドレ・ユッテルがヴァカンスに、友人のリシュモン・シュウドワンに連れられてコンケやウサン島に行き2カ月にわたって滞在したのは、1912年に
ユトリロがサノワのルヴェルテガ医師の病院でアルコール依存症の禁断療法を初めて受けたあとであった。 「ユッテルはいろいろな屋根をしたノルマンディ特有の白壁の農家を描き、後に髪を振り乱して制作に励むようになる
ヴァラドンは心に響く作品を生んだが、
ユトリロ自身は木も草もない−砂漠のような−この島にひどく苛立ち動揺して、なかなかいい絵が描けなかった。幸いだったのは、
ユトリロが宿で子供っぽい楽しみを見つけたことである。荒波の中の島で過ごした最後の日まで
ユトリロは、2階にある部屋に戻るのに階段よりも登り綱を使うほうがずっと簡単だと思っている、もと船乗りだた宿の主人を眺めるのを気晴らしの種にしていた」(K.S.)