データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
いしはら ともあき 石原友明
1959年大阪府に生まれる。1984年京都市立芸術大学大学院修了。大学在学中より関西を中心に様々な展覧会に出品する。主な個展としてギャラリー白(83年、84年)、信濃橋画廊(85年、86年、88年−91年)がある。グループ展としては「イエス・アート」(ギャラリー白、82年の第1回から第3回まで連続出品)、「アート・ナウ’85」、「アート・ナウ’86」(ともに兵庫県立近代美術館)、「滋賀アニュアル’87−主張する人体」(滋賀県立近代美術館)、87年の「現代美術になった写真」(栃木県立美術館)、91年の「マニエラの交叉点−版画と映像表現の現在」(町田市立国際版画美術館)、92年の「彫刻の遠心力」(国立国際美術館)などがある。近年では「ヴェネツィア・ビエンナーレ・アペルト’88」(ヴェニス、イタリア)、89年の「MESSAGE AND COMMUNICATION」(清楠美術館 ソウル、韓国)、91年の「THREE NEW INSTALATIONS(マットレスファクトリー ピッツパーグ、アメリカ)などの海外展にも出品している。
カテゴリー:作家
いまクリックまたは、検索したキーワードの解説
アレシンスキーとは?【 作家名 】 1927年ベルギーに生まれる。ブリュッセル装飾美術学校に学び、1947年に初個展を開く。この頃、マグリットらシュールレアリスト達とも出会う。1948年パリへ旅行した後、49年から3年間、カレル・アペルらと共に結成したグループ、コブラの最年少メンバーとして活躍する。第二次世界大戦後の抽象表現における表現主義的な傾向を代表するこのグループは、短命ではあったが、激しい筆触と鮮やかな色使いで、強烈な衝撃を各方面に与えた。彼自身は記号を重ねたり並べた画面を作った。1951年からパリに移住し、絵画のみならず、壁画、室内装飾、ポスター、映画、銅版画などにも取り組む。日本の書道にも興味を示し、森田子龍と交流する。1955年には来日し、子龍と共に映画〈日本の書〉を製作した。1965年にはアメリカを訪れ、ユダヤ美術館で個展を開いた。1977年にはメロン賞を受賞した。 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||