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フランツ・シチェーク

1885年から1895年、ウィーン美術アカデミーで、フランツ・ルムプラーとヨーゼフ・M.トレンクヴァルトに師事。ミュンヒェンでの研究滞在、イタリア、スイス、フランス、イギリスへの旅行の後、1897年から1903年、ギムナジウムの美術教師、同時に1897年から私立の絵画学校を運営する。1903年、ウィーン工芸美術学校に任命され、ここで彼はまず第一に工芸刺繍科、そして美術教師候補者の為の訓練コースを指導した。1903年、自分の私立(絵画)学校が、工芸美術学校に組み込まれる(演習・実験クラス、1918年からは青年美術クラス)。1906年、シチェークは、「一般形態論」分野での教授に就任。この分野の教師として、16歳以上の生徒と「1900年前後の様式美(主にウィーン工房)」の装飾の分野の演習を行う。彼の授業は、実験的な試みへと一層突き進んでいった。表現主義の考え方において、装飾的傾向へと推進する試みは−キュービズム(立体派)的、フトゥリズム(未来派)的な刺激の作用のもとで−この専門クラスのスケールを最高のものにした。ドイツのバウハウスにも匹敵する現象のうちの一つである、1920年代初頭のウィーン・キネティックアートにおいては、エリカ・ジョヴァンナ・クリーンや、パウル・キルニックなどの何人かの参加者が際立つ存在であった。


カテゴリー:作家
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青騎士とは?【 美術用語 】

1911年ドイツで革新的な目的を持つ芸術家たちがつくった緩やかな組織のグループにつけられた名称。グループの起こりは、1911年、カンディンスキーが、「新芸術家協会」の第3回展に出品を拒否されたことから、フランツ・マルクらと、ミュンヘンのタンホイザー画廊で対抗展を組織し、参加したグループを彼の小作品「青い騎士」にちなんで「青騎士(ブラウエ・ライター)」と命名した。参加者にはマッケクレーなどがいた。第2回展は1912年にミュンヘンで、版画を中心に開かれたがこれにはブリュッケのメンバーも参加し、また国際美術展の先駆ともいうべき性格のものであった。1914年の第一次大戦の勃発による解散した。グループには統合するような様式、教義はみられないが、内面的意欲が多様に形づくる形態の差異を示すことが共通の精神的基盤といえる。また、グループは同名の機関紙を発行したが、ここではヨーロッパの前衛芸術家の作品の他に、民芸品や児童画などの作品も評価し、現代的芸術観の礎石となった。

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  青騎士

  ヴァシリー・カンディンスキー

  パウル・クレー

  雑誌「青騎士」

  デア・シュトゥルム

  版画集〈響き〉1.赤色の前の二人の騎手

  表現主義

  ブリュッケ


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徳島県立近代美術館2006