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 作家(1701)

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こらー ぴねる

ブロンシア・コラー=ピネル

1881年、彫刻家ローベルト・ラープおよびアロイス・デルークのもとで勉強。1885年、ミュンヒェン美術アカデミーでルートヴィッヒ・ヘルテリッヒに師事。1890年、ウィーンに戻る。1894年、キュンストラーハウスの展覧会に初出品。1895年、女権論者マリー・ランク、ルー・アンドリアス・サロメと知り合う。1896年、フーゴ・コラーと結婚。1900年、ニュルンベルクのルートヴィッヒ・キューンのもとで銅版画を勉強。1903年、ウィーンに移住、コロマン・モーザーと知り合う。1908年、クントスシャウに木版画を出品。1909年から1910年、ヤークトアウスシュテルンクに出品。1911年、ミートケ画廊の傑作展にハインリッヒ・シュレーダーと共に出品。1912年、ヨーゼフ・ホフマンおよびコロマン・モーザーの設計した住宅の室内装飾をデザイン。1914年、ライプツィヒの国際書籍印刷展覧会に参加。夫と共にイタリア、スイス、パリ、ベルリンに旅行、各地でモダニズムの美術家と知合い、彼らの作品を見る。オーバーヴァルタースドルフの自宅が 美術家の集まりの場となり、グスタフ・クリムト、コロマン・モーザーヨーゼフ・ホフマン、ユリウス・ビットナー、フリードリッヒ・ケーニッヒアドルフ・ベーム、グスタフ・マーラー、アルマ・マーラー、ルドルフ・フォン・ラリッシュ、フランツ・フォン・ツューロウ、アルベルト・パリス・ギュータースロー、パウル・ヒンデミット、ルートヴィッヒ・ハインリッヒ・ユングニッケルエゴン・シーレ等々が行き来した。彼女は大判の多色木版画を制作、エゴン・シーレ夫妻を描き、夫フーゴ・コラーはシーレの肖像を描くが、完成しないうちにシーレが死去。ギュータースローが追悼文を書く。


カテゴリー:作家
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ミロとは?【 作家名 】

1893年スペインに生まれる。1983年没する。1912−15年フランセスク・ダ・ガリ・ファブラに学ぶ。特に、目を閉じて対象に触れてデッサンをすることを学ぶ。1918年ダルマウ画廊で初の個展を開催。1920年パリへ最初の旅行を行う。1924年アンドレ・ブルトンらと知り合い、シュルレアリスム運動に参加。1925年「シュルレアリスムの絵画」展(ピエール画廊)に出品。1929年ピラール・ジュンコサと結婚。1930年ピエール画廊で個展、また、ニューヨークのヴァランタイン画廊でアメリカで初の個展を開催。1932年バルセロナに居を定める。同年、ニューヨークのピエール・マティス画廊で初の個展を開催。1936年スペイン内乱勃発のためパリに留まる。1937年パリ万博スペイン館のために〈刈り入れ人〉を制作。1940年マヨルカ島パルマに移る。1941年〈星座〉の連作を完成。1944年最初のブロンズ彫刻を制作。1970年大阪万博のための壁画を制作。1976年ミロ財団が公式に開館。パルマ・デ・マヨリカで死去。

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