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りかるつ マリア・リカルツ
1908年から1910年、女子美術学校でオットー・フリードリッヒに師事、1911年から1915年、ウィーン工芸美術学校でヨーゼフ・ホフマンらに師事。1916年頃から1920年、ハレ、ギービッヒェンシュタインの職業学校の教師。1912年から1914年、1920年から1931年、ウィーン工房に装丁やポスターなどのグラフィック分野で関わる。他には、陶器や七宝、服飾関係、壁紙など。1915年、モード展、1920年、クンストシャウ、1922年、ドイツ工芸美術展、1925年、アール・デコ国際装飾・工芸美術展(パリ)、1930年、工作同盟展など。オーストリア工作同盟、ウィーン女性美術家同盟会員。1928年イタリアに移住し、56年に陶芸家としてローマで没した。1914年から1915年、モード・デッサン集「ディ・モーデ」に参加。
カテゴリー:作家
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ピカソとは?【 作家名 】 1881年スペインに生まれる。1973年没する。幼少時から卓越したデッサン力を示し、ダ・グァルダとバルセロナの美術学校でアカデミックな技法を学ぶ。1900年から04年までパリとバルセロナの間を往復し、04年からはパリの長屋、洗濯船(バトー・ラヴォワール)に住んでエコール・ド・パリの作家達と交わる。1902年頃から抒情的な青の時代に入り、続いてバラ色の時代を経て、07年に〈アヴィニヨンの娘たち〉を制作、ブラックとも出会う。キュビスムの幕開きであった。1918年頃から新古典主義的傾向に変わり、25年頃からはシュルレアリスムをとり入れる。1933年には雑誌『ミノトール』創刊に参加、37年にはスペインのフランコ政権に抗議して〈ゲルニカ〉を制作した。戦後は〈画家とモデル〉のシリーズや過去の巨匠に題材をとった作品も作り、また日記のように毎日大量の版画を制作した。彫刻、セラミック、舞台装飾、ポスターなどの分野にも手をひろげた。20世紀美術の最高峰の1人といえるだろう。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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