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脂派


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う゛ぁーぐなー

オットー・ヴァーグナー

1857年から1860年、ウィーン工科大学に学び、1860年、王立のベルリン建築大学でカール・フェルディナント・ブッセに師事。1861年から1963年、ウィーン美術アカデミーで、アウグスト・ジカルド・フォン・ジカルズブルグとエドゥアルド・ファン・デア・ニュルに師事。1894年、キュンストラーハウスのインターナショナル展覧会での建築プロジェクト展。1895年から1913年、ウィーン美術アカデミー教授。1896年、著書「近代建築(シュロル社、ウィーン刊)」が出版される。1895年から1902年、市民鉄道の駅舎、及びドナウ運河の航路の建設を指揮した。1898年から1900年、ウィーンの家並みに沿う家々の建築。ウィーン分離派に加盟したばかリではあったが、1898年には第2回分離派展の装飾を行っている。彼は、様々な展覧会に出品したが、とりわけフランツ・ヨゼフ・クァイのためのデザインや家具、1905年のシュタインホフ教会の為のデザインなどを、展覧会に出品した。1898年から1900年、「ヴェル・サクルム」への絵画作品の提供。彼自身が表紙カバーをデザインした第2年次の第8号は、特別号として彼に献呈されている。1900年、「職業の中の芸術」に寄稿。1904年から1906年、ウィーン郵便貯金局の建築、1905年から1907年、シュタインホフの教会の建築。1905年、クリムト・グループと共にウィーン分離派を脱退。1908年から1909年、クンストシャウに参加。1909年、「大都市」を出版。1912年、デューラーガッセの賃貸住宅の建築、ここにはヨーゼフ・ホフマンの工房も入居した。友人グスタフ・クリムトと共に、新しく設立されたオーストリア芸術家同盟の副会長となる。1914年、「近代建築」の四度目の改訂版である、「同世代の建築芸術」を出版。


カテゴリー:作家
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ルフとは?【 作家名 】

1958年ドイツに生まれる(ハーメルスバッハ)。1981年までデュッセルドルフ美術大学のベッヒャーの下で学ぶ。1981年のガレリー・リュディガー・ショトレ(ミュンヘン)での個展を皮切りに、数多くの個展、グループ展に出品する。1991年にはベルリンのマルティン・グロピウス・バウにおける「メトロポリス」展に出品、翌92年にはカッセル(ドイツ)の「ドクメンタ9」に出品する。美術大学在学中から、ルフは一貫して写真というメディアを通して表現に取り組んできた。その中でもとりわけ、ルフの名を高めたのは巨大な肖像のシリーズであろう。身近な知人、友人、後輩たちをモデルに、個人の人柄や個性を表現しようとするでもなく、カメラの目を通して実に淡々とあるがままの人を画面にとらえ、私たちが通常、想像する以上にそれらを拡大する。そこに生まれる作品としての新たな意味を付加しつつ、観る者に提示するのである。現在、デュッセルドルフ(ドイツ)在住。

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