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おどりこ![]() オドリコ ![]()
この親しみやすさは何だろう。何物かの姿を写し取ったとも、そうではないともつかぬ不思議なシルエットも、安山岩の露な肌理も、決して私達の日常的な感情を直接に喚起するものではない。力強い作業の痕跡と、素材の強烈な個性に直面しながらも、私達はいつしか、激しさよりはむしろ軽やかさ、心地よさの感じられる空間に包まれている。イサム・ノグチは60年余りに亙って、彫刻の他、壁面、モニュメント、舞台装置、造園、家具デザイン等、実に幅広い領域で制作してきた。そうして彼は常に、作品とそれを取り巻く環境との関係を探ってきたようにみえる。彼は様々な素材を簡潔な形態に凝縮させはするが、それは個人的な表現の枠に止まるものではなく、作品の置かれた環境そのものとの共鳴が目的であるとさえ言えるものである。私達は彼の作品と共に空間を共有しながら、彼の物質観、ひいては深遠な自然観に、無理なく共感するのである。(竹内利夫「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年12月20日掲載)
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カテゴリー:作品
![]() ![]() ![]() タルとは?【 作家名 】 ![]() ネグリチュードの詩人としても知られた文人大統領サンゴールが打ち出した、新生セネガルの発足に際しての文化振興政策の思想は、アフリカの伝統的な精神をベースにして、西欧近代の物質文明を同化してゆこうというものであった。当時、パリから戻ったばかりのパパ・イブラ・タルは、サンゴールの理想の実現に向けて、ダカールの若い美術家たちを指導し、積極的に助言をあたえるなどした。やがて、これら一群の作家たちをエコール・ド・ダカールと呼び称するようになるのだが、彼らは仮面や神像などの伝統的なモチーフをキュビスムの手法を取り入れて、半抽象の様式で描くことに活路を見いだした。1966年、ダカールで開かれた第一回世界黒人芸術祭で、エコール・ド・ダカールは華々しく登場することになる。パパ・イブラ・タルも、この時にイバ・ンジャエによって企画された〈現代美術−傾向と対峙〉展に出品している。ここではエコール・ド・ダカールの第一世代の美術家たちがどのような顔ぶれであったのか、よく知ることができる。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) ![]() ![]() ![]() |
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