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くじゃくず 孔雀図
幕末から明治初期にかけて、洋画に転向した画家があらわれたが、寛畝も油彩画を川上冬崖などに学び、一時は、五姓田芳柳、高橋由一と並び称されるほどの存在になった。西洋絵画の視覚と技法を修得した画家が、在来の材料によってどのような表現をうみだしたのか。西洋絵画の視点とともに、その視点で選ばれた在来の表現が、新しい「日本画」のなかに取り込まれていった。この、明治23年(1890)の内国勧業博覧会に出品された<孔雀図>の実在感はその優れた実例といえるだろう。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)
カテゴリー:作品
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高橋由一とは?【 作家名 】 1828年東京都に生まれる。1862年蕃書調書画学局に入り、川上冬崖の指導をうけ、画学心得となる。1866年横浜でワーグマンの指導を受ける。翌年パリ万国博覧会に洋風画を出品する。1871年大学南校画学掛教官となり、1873年天絵楼を創設する。1876年フォンタネージの指導を受け、翌年第1回内国勧業博覧会出品、三等賞受賞。1879年画塾を拡張、天絵学舎と改める。1881年県令三島通庸の委嘱で山形県下新道の油彩画を描く。1884年天絵学舎を廃校、県令三島通庸の委嘱で栃木、福島、山形の新道を写生する。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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