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かくしぎ

郭子儀

作家名:石川光明
制作年:不詳
技 法:木
郭子儀(697−781)は、中国・唐代の武将。安史の乱平定に功をあげるなど多くの功績を残し、名将とうたわれた。郭子儀は、その息子と婿たちが皆立身出世を果たしたことから、子孫繁栄・家門隆盛の象徴として絵画や彫刻にしばしば表され、高村光雲にも同主題の作品が知られている。本像は、二人の童子が郭子儀に戯れる様子を表す通例の図像を示す。石川光明は牙彫師として出発したが、東京彫工会への参画や、東京美術学校で指導に当たるなど、光雲とともに活動することが多かった。また、光明は牙彫とともに木彫も手がけ、《観音菩薩倚像》などの浮彫に本領を発揮した。(「高村光雲とその時代展」図録 2002年)


カテゴリー:作品
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平櫛田中とは?【 作家名 】

1872年岡山県井原市に生まれる。1893年大阪で人形師・彫刻家の中谷省古に木彫を学ぶ。1897年上京し、高村光雲に師事する。1902年新海竹太郎米原雲海山崎朝雲らが結成した三々会の会員となる。1907年第1回文展に「姉ごころ」を出品。また、日本彫刻会の結成に参加する。翌1908年には、日本彫刻会第1回展に「活人箭」を出品する。1914年日本美術院の再興に参加し、第1回展に出品、同人となる。1937年帝国芸術院会員に、54年文化功労者になり、62年には文化勲章を受章する。1979年東京都小平市で死去。「活人箭」は禾山和尚の臨済録提唱の中からとったテーマ。鹿を追っていた猟師がわけあって僧門に入り、後に石鞏(せきぎょう)禅師となり、やってくる雲水に矢をつきつけながら問答をした。皆答えられなかったが、三平という雲水が胸元を広げて、「活人箭か、殺人箭か」と答えた。この作品は、石鞏が矢をつがえている場面で、その描写力と造形にひそむ厳しい精神性が高く評価された。また、釣糸を垂れる太公望を表わした「釣隠」には、田中独特の彩色がほどこされている。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)

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