「あのサノワの丘の高みからは遠くまで眺めが開けていて、光りの輪の中に少なくとも地上の七つの場所を見ることができる。しかし視線をもっと上にある村の方に向ければ、美観を損なうような看板や広告のない、ちょっとばかり立派な建物があるのに気づく。 そこには悩みに疲れた者や、モンマルトルの歓楽街につきものの酒の飲みすぎで少々くたびれた者たちがいる。僕もその病院に行き1912年の花咲く春が過ぎゆくころ、黙ってじっと静かにしていた。一流の先生が経営するこの病院では、てんかん患者や
モルヒネ中毒者、凶暴症の者、そして放蕩で身をもちくずした障害者たちといった悲しい人たちの心の病を(たて不治といわれるものであっても)取り去ってくれた。 おいしい食事を摂り、殺菌されたきれいな水を飲み、居心地のよい部屋で寝起きし、ちょっとした公園で過ごし、いろいろな気晴らしがあるといったように、僕はそこでとてもよくしてもらった。昼食の後や午後の4時には、タバコを吸ったりコーヒーを飲むことも許されていた。ああ、どうして僕はあの優しい先生の心のこもった忠告を聞き入れなかったのだろうか。先生は僕に、すべての酒を控えるようにきっぱりと勧めてくれたのに。もし先生のいうとおりにしていたら、僕は人として恥ずべき渦の中に巻き込まれることはなかったことだろう」(K.S.)