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べびーちぇあ でぃの ベビーチェア「ディノ」
スウェーデン製。デザイン:シャルロッテ・ルーデとヘオルディス・オオルソン=ウネ、製造:イケア社。特徴的な傾斜している金属管構造とかごか袋のようなプラスチックのシートに表されるこの1970年代の古典ともいえる製品のコンセプトは、ほとんどバーの椅子かバスケットボールのネットに見える。これはイケア社で実験室マネージャーと呼ばれる2人の若いデンマーク人デザイナーが設計した。彼らの幼児用食事椅子の研究の結果、足掛けを取り除き、大きな円形を椅子の基礎に取り込み、シート部分と曲げた鋼管をつなぐことを包含した構造がもっとも安全だという。赤ん坊は生後6ヶ月くらいで、背もたれなしでまっすぐ座れるようになる。「ディノ」には食べ物や飲み物を置くインゲン豆形のトレイは付いていないが、大人と一緒にテーブルにつく機会は明らかに早く与えられる。(「キッズ・サイズ・デザイン展」図録)
カテゴリー:作品
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ダダとは?【 美術用語 】 第一次大戦中、ヨーロッパおよびアメリカに起った運動。1916年、チューリヒのキャバレ・ヴォルテールで、トリスタン・ツァラ、ジャン・アルプらが、辞典の一頁から偶然に拾った言葉「ダダ」を用いた。大戦の不安のなかで、合理主義文明とその社会体制を否定し、破壊しようという運動で、おびただしいデモンストレーションとスキャンダルを通じて「なにも意味しない」虚無のダダを唱えた。この否定の精神は、ドイツではヒュルゼンベック、グロスらにより政治的色彩を濃くした。またニューヨークでマルセル・デュシャン、ピカビアらが写真のコラージュや、レティ・メイドのオブジェを使った時期をニューヨーク・ダダと呼ぶが、デュシャンの芸術そのものへの否定精神(反芸術)は、第二次大戦後の若い作家に受け継がれた。さらに1919年にケルンでエルンスト、アルプらが起したダダ運動は、偶然性や意識下の世界を通じて、のちにシュルレアリスムや抽象表現主義への道をひらいた。 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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