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ほんごう しん![]() 本郷新 ![]()
1905年札幌に生まれる。1928年東京高等工芸学校を卒業、第3回国画展に「女の顔」を出品。このころから高村光太郎に師事する。1933年国画会会友となり、38年会員となる。1939年新制作協会彫刻部の創設に参加、44年野間美術賞受賞、53年日本平和文化賞受賞。1959年日本国際美術展に「哭」を出品し、優秀賞受賞。1980年東京で死去。本郷はミケランジェロやブールデルのモニュメント彫刻に啓発され、戦前から社会性や公共性を念頭に置いた作品づくりをしていた。彼が残したモニュメントは、国内全域を網羅し、その数は50点あまりにものぼっている。若い青年の肉体によって深い哀しみを表現した戦没慰霊碑「わだつみのこえ」は、彼のモニュメント彫刻の代表作である。在野の精神を貫き、ヒューマニズムにあふれたテーマの作品を数多く手がけた。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)
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カテゴリー:作家
![]() ![]() ![]() 荻原守衛とは?【 作家名 】 ![]() 1879年長野県穂高町に生まれる。1910年没する。1899年画家を志し上京、小山正太郎の不同舎で学ぶ。1904年渡欧中にロダンの「考える人」に感動し、彫刻家を志す。1908年第2回文展で「文覚」が三等賞を受賞。1909年第3回文展で「北条虎吉氏肖像」が三等賞を受賞する。第4回文展で絶作「女」が三等賞受賞。守衛はロダンから、彫刻を量塊としてとらえ、その中に有機的な躍動感を盛り込むことで、彫刻が空間の中で息づくのだということを学んだ。そして守衛の存在はまた、日本近代彫刻の礎となっている。彼の作品に込められた内的な生命感は、彫刻の自立を促すものであり、「坑夫」「デスペア」などはいずれも、日本近代彫刻史を語るに不可欠な作品で、若くして去った守衛の代表作といえる。碌山と号す。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年) ![]() ![]() ![]() |
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