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であい

出会い

作家名:ミシェル・ビュトール
制作年:1962年刊
技 法:エッチング 紙(5点)、テキスト
ミシェル・ビュトール著、エンリケ・ザニャルトゥ装丁。ミシェル・ビュトール著、ベルトラン・ドルニー装丁。一九五〇年代フランスのヌーヴォー・ロマンの作家ミシェル・ビュトールは、一九六二年の『出会い』以降、アーティストと協力して千冊近い本を作っている。今回出品するのは五点。版画による挿絵がついたオーソドックスな挿絵本の〈出会い〉。見開きが三ページ、いわゆる三幅対(トリプティック)になっている〈地方間の争い〉。アメリカの建国二百周年を記念して作られた、オブジェと本を青いアクリルケースに収めたボックス〈USA 76〉。一枚につき四ヶ所が欠けてガタガタになったカードの表裏に詩句が印刷されたものが二十枚、それらを様々に組み合わせることによって膨大な数の詩が生まれる。そんなカードとビュトールが朗読しボスールの伴奏がついたカセットテープ、笛、詩編が印刷されたアレシンスキーのポスターなどがセットになった〈詩「ドンファン」のための素材〉。コラージュされたジャバラ式のページにビュトールの手書き文字を印刷した〈街に沿って〉。この五点だけを見ても、考えられるありとあらゆる方法が試みられているのではないかと思わせるほど多彩な作品群である。アーティスツ・ブックス、フランス流に言えばリーヴル・ダルティストとは何か、という問には、いまだに明確な答えは見当たらない。しかし、ビュトールのこれらの美しい本、楽しい本、工夫の凝らされた本を見ていると、そんな定義や分類はともかくとして、その本を読んでみたいと切実に感じさせられる。それはおそらく作家であるビュトールにしても同じ思いなのだ。アーティストたちとの本作りから、作家自身の書くものが更新され、変貌させられる喜びと期待感。作家とアーティスト、そして読者との幸福な関係。それ以外に何が必要なのだろうか。(「本と美術−20世紀の挿絵本からアーティスツ・ブックスまで」図録 2002年)


カテゴリー:作品
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ラムとは?【 作家名 】

アイオワ州ティプトン生まれのラムは、ノードフェルト同様、ジャポニスムの真っ只中、シカゴのアート・インスティテュート・アートスクールで学んだ。初めて実験的な木版画を制作したのは、日本への新婚旅行で木版の道具を手に入れた後の1905年頃である。1907年に再び日本を訪れたラムは、今度は彫師の伊上凡骨(1875−1933)の下で3カ月間、伝統的な木版画の工程を学び、その後3年間はその手法を生かしてアメリカで制作した。1911年から1912年にかけて再来日した折には、東京で彫師と摺師を見つけ、集中的に自分の作品の制作に励んだ。ラムの木版にかける熱意に打たれた師の伊上凡骨は、「おそらく日本の多色摺木版芸術は外国人たちに乗っ取られてしまうだろう!」と、日本人が木版を低級な複製技法として蔑んでいる事実を嘆いている(「木版画の真価」『早稲田文学』7、1907年5月)。ラムが日本で活動した時期は、ちょうど創作版画運動の初期と重なったが、彼女の独創的な木版作品は日本の同時代の作家に多大な影響を与え、日本における木版の見直しの端緒となった。(M.Y.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)

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