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うぇすれー

ジョン・ウェスレー

1928年アメリカに生まれる。1947年から50年まで、ロサンゼルス市大学に学んだ。1958年最初のグループ展に出品、翌年ロサンゼルス・カウンティ美術館の年次展に出品される。1963年ロンドンのインスティテュート・オブ・コンテンポラリー・アートの「ポピュラー・イメージ」展や、オークランド美術館の「ポップ・アートU.S.A」展等をはじめとして、60年代盛んに企画されたポップ・アートの展覧会に多数出品され、ポップ・アートの作家として認知されるようになる。また1963年から十数回、ニューヨークのロバート・エルコン画廊で個展を開いている。1970年から73年まで、ニューヨーク視覚芸術学校で講師を勤めた。1976年にはグッゲンハイム奨学金を得た。通俗的な女性のヌード、動物、人体の一部などの繰り返しを配置した、シルクスクリーンによる作風で知られる。


カテゴリー:作家
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クリムトとは?【 作家名 】

1862年ウィーンに生まれる。1876年に奨学金を得てオーストリア芸術産業美術館付属の工芸学校に入学、7年間同校に学ぶ。1883年、弟エルンスト、同窓のF.マッチュと共に美術家協会を設立し、ブルク劇場やウィーン美術史美術館など多くの装飾画を手掛ける。この時期の作品はいまだアカデミックな画風で描かれており、ブルク劇場のフレスコ画の制作によって勲章を授けられたが、1897年にウィーン分離派を結成し、その初代会長となると、アール・ヌーヴォー様式を大幅に取り入れた独自の様式を成熟させていった。1903年にはウィーン工房の設立に協力し、翌年、ブリュッセルのストックレー邸の食堂のためにモザイクのフリーズを制作し始める。この間、ウィーン大学の壁画やマックス・クリンガー展のための《ベートーヴェン・フリーズ》が賛否の渦を巻き起こす。1905年分離派を脱退し、翌年オーストリア美術家連盟を結成、1908年の「クンストシャウ」に出品した《接吻》が国家買上げとなる。第9回ベネチア・ビエンナーレ(1910年)で「クリムトの部屋」が設けられたり、1911年のローマ国際美術展で最優秀賞を獲得したりするなど、ヨーロッパ美術界で重きをなしていった。1917年、ウィーンとミュンヒェンの造形芸術アカデミークリムトを名誉会員に迎る。1918年ウィーンで歿。(「ホフマンウィーン工房展」図録 1996年)

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