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しゅなーべる ジュリアン・シュナーベル
1951年アメリカに生まれる。1973年ヒューストン大学を卒業。ニューヨークのレストランで働きながら、ヒューストンの現代美術館やデュッセルドルフの画廊で個展を開く。彼に転機が訪れるのは1979年のことである。この年メアリー・ブーン画廊で開かれた2回の個展で、キャンバスに皿や陶器の破片をはりつけて彩色した巨大な作品群が話題を呼ぶ。プレート・ペインティングと呼ばれるこれらの作品は、1981年のレオ・キャステリ、メアリー・ブーン両画廊での個展と82年のアムステルダム市立美術館の回顧展にも出品された。暴力や死や神話などを荒々しく描いた彼の作品は、商業的な側面と関わりながら賛否両論をまきおこし、ポロック以来の、時代の人とさえいわれるほどになった。以後、彼をその象徴とするニュー・ペインティング現象が各地で生まれている。1986年から88年まで彼の作品展がロンドン、パリ、デュッセルドルフ、ニューヨークを巡回、また89年には大阪の国立国際美術館で歌舞伎の背景幕に描いたカブキ・ペインティングが公開された。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)
カテゴリー:作家
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青騎士とは?【 美術用語 】 1911年ドイツで革新的な目的を持つ芸術家たちがつくった緩やかな組織のグループにつけられた名称。グループの起こりは、1911年、カンディンスキーが、「新芸術家協会」の第3回展に出品を拒否されたことから、フランツ・マルクらと、ミュンヘンのタンホイザー画廊で対抗展を組織し、参加したグループを彼の小作品「青い騎士」にちなんで「青騎士(ブラウエ・ライター)」と命名した。参加者にはマッケ、クレーなどがいた。第2回展は1912年にミュンヘンで、版画を中心に開かれたがこれにはブリュッケのメンバーも参加し、また国際美術展の先駆ともいうべき性格のものであった。1914年の第一次大戦の勃発による解散した。グループには統合するような様式、教義はみられないが、内面的意欲が多様に形づくる形態の差異を示すことが共通の精神的基盤といえる。また、グループは同名の機関紙を発行したが、ここではヨーロッパの前衛芸術家の作品の他に、民芸品や児童画などの作品も評価し、現代的芸術観の礎石となった。 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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