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いそみ てるお 磯見輝夫
1941年神奈川県に生まれる。1966年東京芸術大学油画科を卒業、油彩や水彩、またリキテックスの作品を制作していたが、1971年同大学大学院版画科に再入学、本格的に木版を始めた。1973年に修了、主に個展で活動する。1979年、第47回日本版画招会展で協会賞、日動版画グランプリで賞候補となり注目を浴びる。1978年頃から合板ではなく杉板を版本として用いること、また横に並べ継いで大型版画の制作を始めた。板と板との継ぎ目や、板目の違いによる刷りムラも、独自の技法として取り込み、墨一色の力強くプリミティブな作風を確立している。一見、ムンクやゴーギャンを思わせるような、人物、花、樹木などの単純化された構成は、強烈な印象を観る者に与え、現代人に鮮烈な衝撃、悲愴感を投げかけている。
カテゴリー:作家
ドランとは?【 作家名 】 フランス、シャトゥーに生まれる。アカデミー・カリエールやアカデミー・ジュリアンで学ぶ。マティスとは旧知の間柄。1900年ヴラマンクと知り合い共同のアトリエで制作する。1905年夏のマティスとの共同製作を経て、その秋、フォーヴィスムの名称がおこったさとれるサロン・ドトンヌに出品する。1907年ピカソ、ブラックらとの交流を通じて、キュビスムや黒人彫刻の影響を受ける。その後セザンヌの作風に近づくが、1911年以降はルネサンスの影響を受ける。また、1920年ごろからは、ドラクロワのロマン主義とコロー、クールベらの写実主義を折衷した、新古典主義風の独自の作風を確立する。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年) |
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