データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
おりおーる (じゃん じょるじゅ ゆよ) ジョルジュ・オリオール(ジャン=ジョルジュ・ユヨ)
ボーヴェに生まれ、1880年代の初めにパリに移り住んだ。パリで、ロドルフ・サリの「シャ・ノワール(黒猫)」という名のカフェや同名の雑誌で活躍する芸術家の一員となり、そこでジャポニスムから強い影響を受けた。彼の多色刷石版画や木版画、グラフィック・デザイン、絵画では、特に主題(植物モティーフ)やパターンに対する好み、輪郭線に対する鋭い感受性に、日本美術の影響がうかがわれる。彼の出版物の中では、とりわけ『百科雑誌』、『版画とポスター』、『版画』の各誌やアンリ・リヴィエールの『エッフェル塔三十六景』のテクストなどの印刷スタイルに、日本の影響が認められる。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作家
いまクリックまたは、検索したキーワードの解説
グラッセとは?【 作家名 】 スイスのローザンヌ生まれ。16歳の時にチューリヒ国立理工学校に入学、美術を学ぶ。ローザンヌで劇場装飾の仕事をした後、パリに行く。本の挿絵、キャバレーの室内装飾、雑誌の仕事等を行う。1891年にフランスに帰化し、様々なクライアントのために40種類程のポスターを制作。そのグラフィックな作品はアール・ヌーヴォー様式を普及させることに貢献した。ブリュッセルの「自由美学」展、ウィーン分離派展(1898年)、「装飾美術家展」(1906年)などの様々な展覧会に出品。1901年には建築家エクトル・ギマールとともに「装飾美術家協会」を設立。1890年以来自ら出費してきた美術教育師範学校(エコール・ゲラン)において1903年まで教育に従事。『植物とその装飾への応用』(1896年)、『装飾構成の技法』(1905年)の2冊の理論書も刊行。以後、17年にパリ近郊の住宅都市ソーで亡くなるまで、エコール・エティエンヌで文字の歴史とその描き方を指導している。(「黄金時代のポスター芸術」図録 1998年) 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||