ぐるぐるアートワード
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赤い少女



赤い服のセザンヌ婦人



赤い枕で眠る女



赤い闇6



赤城泰舒



アカシア



赤土山



アカデミー



赤紫の花瓶



〈赤を見ることができない〉



亞艦来浦図











秋岡美帆



秋草小禽図



秋草花図



秋野不矩



秋の木葉



秋山祐徳太子



諦め


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 作家(1701)

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びごー

ジョルジュ・ビゴー

パリのエコール・デ・ボザールでオリエンタリストのジェロームに学んでいた頃、ビゴーは日本美術収集家のフィリップ・ビュルティやフェリックス・ビュオ等と親交を深めた。1882年に22歳で来日してから18年間、東京都横浜を拠点にジャーリスト画家として活躍、日本の時事や風物を諷刺画や漫画として描き、ヨーロッパへ伝えた。1887年には、一年半にわたり『鳥羽絵』という隔月刊雑誌を出版し、日本人の西洋化志向を痛烈に諷刺した。彼の挿絵が掲載された雑誌は計115冊にも及ぶが、その他に自然主義的な様式の風景画や人物画を集めた銅版画集等も数多く出版している。(M.Y.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)


カテゴリー:作家
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石川欽一郎とは?【 作家名 】

1871年静岡県に生まれる。その後東京に移り、1888年逓信省東京電信学校に学ぶ。1889年大蔵省印刷局に入り、1891年に明治美術会に入会。浅井忠、川村清雄などに指導を受け、明治美術会解散後巴会に加わる。1905年に大下藤次郎を知り、『みづゑ』にアルフレッド・イーストの翻訳を掲載。1913年、日本水彩画会の創立に参加。1922年渡欧。1924年台湾に渡る。台北師範学校嘱託となり、台湾水彩画会を創立。台湾美術展の審査員などをつとめる。1932年帰国。その後日本水彩画会顧問となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年)

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