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しゃでる ジュール・シャデル
クレルモン=フェランに生まれ、国立装飾美術学校で学んだ後、日本美術のコレクターとして知られたシャルル・ジロの版画工房で働いた。シャデルはガブリエル・アンスレ、アンリ・リヴィエール、ピエール・ロシェ、そしておそらく、シャルル・ジロなどと共に「日本美術友の会」を結成し、1895年から1914年まで毎月定期的な会合を開いた。シャデルは浮世絵を模した多色刷木版画で最もよく知られている。また、「日本美術友の会」のメニューや招待状もデザインしている。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作家
ゲラールとは?【 作家名 】 画家、版画家、挿絵画家、装飾デザイナーとして活躍したゲラールは、1860年代、マネやフェリックス・ビュオ、フィリップス・ビュルティらの親しい友人であった。初期にはエッチングによる複製版画で生計を立て、装飾デザイナー、あるいは扇製作者としても働いた。1883年には、ルイ・ゴンスに協力して、『日本美術』に日本の美術品を描いた200点余りものエッチングの挿絵を入れている。オーギュスト・ルペールと付き合うようになり、おそらくエミール・ベルナールにも刺激されたのであろう。1880年には木版画を手がけ、1880年代後半、多色刷エッチングの技法の発展に尽力した。フィリップ・ビュルティとフェリックス・ブラックモンと共にデュラン=リュエル画廊で画家=版画家年次展覧会を設立し、1890年、フランス画家=版画協会をフェリックス・ブラックモンと共に創設した。1897年、ロジェ・マルクスはゲラールのことを「パリの日本人」と評している。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録) |
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