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くろす アンリ=エドモン・クロス
生地のドゥエイでカロリュス・デュランに学んだ後、1881年にパリに拠点を移し、サロンで作品発表を開始、1884年からはアンデパンダン展にも出展する。写実主義的画風で出発したが、フェリックス・フェネオンの色彩理論の影響を受け、ジョルジュ・スーラ、ポール・シニャック等に続く、後期印象派の代表的な作家となる。日本美術に関しても、フェネオンを通じて知識を得たことがきっかけとなり、1880年代以後パリで開催された様々な展覧会に足を運んで、研究した。(M.Y.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作家
ジョセフ・アルバースとは?【 作家名 】 1888年、ドイツに生まれる。1913年から15年までベルリンの美術アカデミーで学び、美術教師の資格を取る。1916年から19年までは小学校の教師をしながら美術工芸学校に学ぶ。1919年から20年にかけてミュンヘンの美術アカデミーでクレー、カンディンスキーらの教えを受ける。1920年にヴァイマルのバウハウスに入り、22年まで学び、23年からはステンドグラス工房と基礎課程で指導にあたる。基礎課程ではモホリ=ナギと共に親方をつとめる。デッサウに移り、1928年からは家具工房の親方も勤めた。1933年には、ナチスから逃れて早々とアメリカへ亡命しノース・キャロライナ州、ブラック・マウンテン大学の教授となる。1933年から46年にはパリのアブストラクシオン=クレアシオンに参加、またアメリカ抽象芸術家協会にも参加する。戦後の1950年 にはイェール大学に移る。またハーバード大学やシンシナティ芸術アカデミーなどで幅広く指導を行う。そのほかにもメキシコ、キューバ、チリ、ペルー、ハワイ、日本など世界各地の大学で講演を行う。展覧会も各地で開催された。(「亡命者の奇跡 アメリカに渡った芸術家たち」図録 1993年) |
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