生地のドゥエイで
カロリュス・デュランに学んだ後、1881年にパリに拠点を移し、サロンで作品発表を開始、1884年からは
アンデパンダン展にも出展する。
写実主義的画風で出発したが、フェリックス・フェネオンの色彩理論の影響を受け、ジョルジュ・スーラ、
ポール・シニャック等に続く、
後期印象派の代表的な作家となる。日本美術に関しても、フェネオンを通じて知識を得たことがきっかけとなり、1880年代以後パリで開催された様々な展覧会に足を運んで、研究した。(M.Y.)(「世紀末から 西洋の中の日本「
ジャポニスム展」図録)

いまクリックまたは、検索したキーワードの解説
セザンヌとは?【 作家名 】

南フランスのエクス=アン=プロヴァンスの裕福な家に生まれ、同級生に後の小説家ゾラがいた。パリに出て
印象派の画家との親交を深め、
印象派展に出品する。しかし、
モネのような光や色の追求ではなく、ものの形を純粋な造形のモチーフとして考え、堅牢な作品を制作しようとした。
後期印象派の代表にとどまらず、20世紀の美術思潮に最も大きな影響を与えた一人と言える。「自然を円筒と球と円錐によってとらえる」という有名な言葉を残した。

画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。