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ごーてぃえ (まりー あんとにー) マリー・ゴーティエ(マリー・アントニー)
アルマン・デジレの娘として生まれ、画家、版画家として活躍した。彼女が好んだ花をつけた枝やその他の動植物のテーマは強い日本の影響を示している。1890年代にシャルル・モーラン、ウジェーヌ・ドラートル、ジャン=フランソワ・ラファエリらと率先して、多色刷エッチングを試み始めたが、これは日本の色刷木版画に示唆されたものと思われる。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作家
マレーヴィッチとは?【 作家名 】 1878年、キーエフ近郊に生まれる。キーエフ・モスクワで絵を学び、ラリオノフに認められてグループ活動に参加。1913年、最初のシュプレマティズムの絵画を描いた。以後シュプレマティズムのを推進し、1918年、「白の上の白」の連作に達した。1919−22年、ヴィテブスク美術学校の教授となり、絵画をやめ、同校をバウハウス的なシステムに改革、教育活動に専念する。1927年、ベルリン美術展で特別陳列され、翌28年バウハウスから「非対象の世界」を刊行。モスクワのみならず、ヨーロッパの美術界に大きな影響を及ぼした。1835年、レニングラードで死去。 |
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