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れがめー フェリックス・レガメー
兄弟のフレデリックとジェロームと同様、父L・Pレガメーに絵を学び、後にルコック・ド・ボワボードランの下で学んだ。若い頃から、『娯楽雑誌』、『パリ生活』、『イリュストラシオン』、『モンド・イリュストレ』など数多くの大衆雑誌に挿絵や諷刺画を描いた。また、装飾デザイナーとしても働き、装飾美術学校(エコール・デ・ザール・デコラティフ)で教鞭をとっている。1873年、パリを離れて、エミール・ギメの日本旅行に同行し、旅行中挿絵画家として働いた。帰国後それが『日本散策』として出版されている。日本美術の影響は、何はおいてもジャポニズリーと呼ばれる日本のモティーフや衣装の模倣に明らかに現れている。
カテゴリー:作家
ブーシェとは?【 作家名 】 18世紀フランスのロココ絵画を代表する画家。20歳でアカデミーの大賞を獲得。その後イタリアに遊学。ここでベネチアの絵画に深い感銘を受ける。帰国後、アカデミー会員となる。後に会長に就任し、ヴェルサイユにおいては、ルイ15世の主席宮廷画家となって、ポンパドゥール夫人の絵画教師もつとめた。彼の芸術活動は実に幅広く、ヴェルサイユ宮の装飾、タピスリーやセーヴル陶磁器のデザインのほか、オペラ座の舞台デザインをも手がけた。絵画においては永遠の女性ヴィーナス礼賛こそ彼の一生を賭けたモチーフであった。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年) |
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