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りう゛ぃえーる アンリ・リヴィエール
パリの下層階級の息子として生まれたリヴィエールは、ほとんど正規の教育を受けず、複製版画の彫版師として身を立てている。1884年までにエッチングを学んだことは、青インクで刷られた作品が何点か残されていることから分かる。1880年代半ばにトゥールーズ=ロートレック、スタンラン、ジョルジュ・オリオール、ウジェーヌ・グラッセらがいたロドルフ・サリのカフェ「シャ・ノワール(黒猫)」のサークルに入った。当時ジャポニスムはそのサークル内でも大変盛んで、カフェ・コンセールで上演した影絵芝居「中国人の影」のセットを作るため、リヴィエールは日本の影絵を研究した。1888年、日本風の多色刷板目木版を始め、全て自刻によって広重や北斎の作品を思わせる連作を制作した。二つの連作木版画集『ブルターニュ風景』(40点 1888−94年)、『海』(6点 1890−92年)を完成した後、さらに板目木版の版画集の制作が予定されていたにもかかわらず、その後多色刷石版画に切り換えた。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作家
ジム・ダインとは?【 作家名 】 1935年アメリカに生まれる。シンシナティ大学、ボストンの美術館スクール、オハイオ大学に学んだ後、1958年からニューヨークに在住。アラン・カプロー、ボブ・ホイットマン、クレス・オルデンバーグらと「ハプニング」を始める。1960年ルーベン画廊、ジャッソン画廊で個展を開催。1962年から65年にかけて、ポップ・アートの拠点となったシドニー・ジャニス画廊の「ニュー・リアリスト」展にアルマン、クライン、ティンゲリーなどと参加。1967年ニューヨーク近代美術館で個展、69年ロンドンの「ポップ・アート」展に出品。1984年、85年にはウォーカー・アート・センターなどで回顧展を開催。他のポップ・アートの作家たちが大衆社会の図像を多く使うのに比べて、自己の日常生活のなかで出会う事物を多く用いる。アクション・ペインティングの表現技法を取り入れたり、画面に現実の事物をオブジェとして取りつけ、そのオブジェと描かれたものとの対比を試みるなど、現代的な探究を続けている。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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