データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ろしゅ ピエール・ロシュ
彫刻家として教育を受けたロシェは、版画作品に彫刻的効果を加味しようとした。1892年頃、石膏型に紙をプレスすることによって、最初の浮き彫り版画を制作し、さらにこれに手彩色を施して「水彩版画」と命名した。この試みが彼をジプソグラフの開発へと導いた。つまり、この技法は、インクの塗られた石膏型の上で紙をプレスして、日本の空刷りにも似た表面のきめを紙に転写するものであった。この手法は、後に金属板を使ったジプソタイプへと発展することになる。自分のスタイルと技法に与えた浮世絵版画の影響を自認していたロシュは、ジュール・シャデル、アンリ・リヴィエール、ガブリエル・アンスレ、シャルル・ジロらと共に「日本美術友の会」の一員となり、1895年から1914年まで、毎月会合を開いた。彼が好んだ動植物を主題とした作品に見られる繊細な色彩には、日本の花鳥画の影響がうかがわれる。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作家
いまクリックまたは、検索したキーワードの解説
グラッセとは?【 作家名 】 スイスのローザンヌ生まれ。16歳の時にチューリヒ国立理工学校に入学、美術を学ぶ。ローザンヌで劇場装飾の仕事をした後、パリに行く。本の挿絵、キャバレーの室内装飾、雑誌の仕事等を行う。1891年にフランスに帰化し、様々なクライアントのために40種類程のポスターを制作。そのグラフィックな作品はアール・ヌーヴォー様式を普及させることに貢献した。ブリュッセルの「自由美学」展、ウィーン分離派展(1898年)、「装飾美術家展」(1906年)などの様々な展覧会に出品。1901年には建築家エクトル・ギマールとともに「装飾美術家協会」を設立。1890年以来自ら出費してきた美術教育師範学校(エコール・ゲラン)において1903年まで教育に従事。『植物とその装飾への応用』(1896年)、『装飾構成の技法』(1905年)の2冊の理論書も刊行。以後、17年にパリ近郊の住宅都市ソーで亡くなるまで、エコール・エティエンヌで文字の歴史とその描き方を指導している。(「黄金時代のポスター芸術」図録 1998年) 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||