アカデミー・ジュリアンで学び、1888年、ブルターニュ地方を訪れ、ポン=ダヴェンでエミール・
ベルナールとゴーガンに出会う。パリに戻った後、ポン=ダヴェン派の理念を唱導し、
ボナール、
モーリス・ドニ、アンリ・
イベルス、
マイヨール、ポール・ランソン、ジョゼフ・リプル=ロナイ、ケル=グザヴィエ・
ルーセル、
ヴュイヤールらと共に
ナビ派結成に尽力した。1890年頃、版画を制作し始め、主に多色刷り
石版画と
木版画で仕事をした。彼は、ブルターニュに対する忠誠心を失わず、1891年には、ポン=ダヴェンを再訪している。また、シャトーヌフ=デュ=ファウにたびたび旅行し、1912年、同地に住居を構えた。1921年、自らの色彩や幾何学的形態に対する理論を略述した『絵画のABC』を出版した。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「
ジャポニスム展」図録)