新印象主義の代表的な理論家
シニャックは全くの独学で画家となっている。1880年代には、
印象派の
モネ、
シスレー、
ルノワール、
ギョーマンらの影響を受けていたが、1884年にスーラの作品を見、さらに1885年に
カミーユ・ピサロと息子のリュシアンに出会ってから、本格的に点描法を取り入れ、色彩論を学び始めた。ルイ・ゴンスがジョルジュ・プティ画廊で1883年に開いた日本美術回顧展やパリで開かれたその他の日本美術の展覧会(たとえば1883年と1884年の装飾美術中央連合での日本画家年次展を確かに観ているにもかかわらず、彼の作品に
ジャポニスムの影響が現れたのは1885年から1886年頃である。
ピサロ父子やスーラ(スーラは1885年頃から日本美術の影響を受けている)や、1887年にパリで出会った
ゴッホとの親交によって、彼の極東への関心は高まっていった。1885年に版画を始め、まず
エッチングの制作を試み、ついで1888年に、
新印象主義色彩論を取り入れた多色刷
石版画を制作した。彼は浮世絵版画に見られるような大気の明るさと色彩効果を版画に表現しようとした。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「
ジャポニスム展」図録)