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そむ アンリ・ソム(フランソワ・クレマン・ソミエ)
挿絵画家として出発し、その生涯に『芸術』、『シャ・ノワール(黒猫)』、『フランス通信』、『滑稽』のような雑誌や、『パリジェンヌによって描かれたパリジェンヌ』(1897年)のような挿絵本に作品を寄せた。1860年代の初めに、フェリックス・ブラックモンと知り合い、1867年頃にはパリの東洋語学学校で、フィリップ・ビュルティに出会った。互いの日本美術に対する敬慕の念が引き合わせたのであった。最初は、日本のモティーフを写したメニューのデザインやアドレス・カード、装飾デザイン(いくつかはアヴィランのためにデザインされた)、挿絵などに日本の影響が現れ、1880年代の作品には、さらに強い影響がうかがわれる。その頃、ソムはジョルジュ・オリオール、アンリ・リヴィエール、ウジェーヌ・グラッセ、スタンランらと共にロドルフ・サリのカフェ「シャ・ノワール(黒猫)」のサークルの一員として働いていた。ドライポイントの手法に熟達していたソムは、『エッチングのパリ』(1881年)、『優雅な生活』(1881年)、『新しいイラストレーション』などの版画集や、自分の『10人のおかみさん』(1881年)、『扇』のために版画を制作した。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作家
遠近法とは?【 美術用語 】 三次元の空間を平面上に、立体感、奥行きを伴って表現するための技法。1436年、アルベルティの『絵画論』において、「絵画は眼を頂点とする三角錐の一断面にほかならない」と、科学の裏付けに基づいて初めて理論的に示された。現実に目の前にある対象物は、われわれの目から遠く離れてゆくに従って、小さく見えるようになる。つまり画面上の消失点(バニシング・ポイント)に向かって幾何学的に短縮され、画面上に示される。これは線遠近法とよばれるものである。これに対して、大気の影響によって、対象のもつ色が変化して見え、その輪郭や明度が不明瞭になることに基づいて遠近感をあらわす色遠近法といわれるものもある。また、線遠近法は透視図法ともいわれることがあり、たとえばレオナルドの「最後の晩餐」は、消失点を効果的に用いた遠近法の一例である。 |
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