ナントに生まれ、20歳の時に、エコール・デ・ボザールで学ぶためパリに出た。1869年頃、
ロンドンに腰を落ち着けた。1860年代に
エッチングを始めたが、
ホイッスラーと親交を結んだ1870年代に至るまで十分な展開をみることはなかった。1880年には、画家=
銅版画家協会の創立者の一人となっている。エルネスト・シェノーは日本の影響を初めて受けたフランス人画家の一人に
ティソの名を挙げており、
ウィリアム・ロセッティの日記には、早くも1865年に
ティソが日本の美術品を収集していたことが記されている。彼の
ジャポニスムは、構図上の効果−これは写真術の研究によって一層強調されている−と、日本の衣装や
モティーフを模写した絵画や版画に最もはっきりと現れている。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「
ジャポニスム展」図録)