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てぃそ ジェイムズ・ティソ
ナントに生まれ、20歳の時に、エコール・デ・ボザールで学ぶためパリに出た。1869年頃、ロンドンに腰を落ち着けた。1860年代にエッチングを始めたが、ホイッスラーと親交を結んだ1870年代に至るまで十分な展開をみることはなかった。1880年には、画家=銅版画家協会の創立者の一人となっている。エルネスト・シェノーは日本の影響を初めて受けたフランス人画家の一人にティソの名を挙げており、ウィリアム・ロセッティの日記には、早くも1865年にティソが日本の美術品を収集していたことが記されている。彼のジャポニスムは、構図上の効果−これは写真術の研究によって一層強調されている−と、日本の衣装やモティーフを模写した絵画や版画に最もはっきりと現れている。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作家
コブラとは?【 美術用語 】 1948年にアムステルダムで結成された芸術家グループ。カレル・アペル,アスガーヨルン,コルネイユらが実験美術家と称して集まったものである。コブラの名称は、結集した作家の生国が、デンマーク、ベルギー、オランダの三国にわたっていたことから、それぞれの首都のコペンハーゲン、ブリュッセル、アムステルダムの頭文字をとってコブラと称するようになった。激しい筆触、鮮やかな色彩による表現主義的な作風が共通し、また、精神障害者や子供による作品に表現の可能性を見い出し、アンフォルメルの運動とも深くかかわりながら、ヨーロッパでの第二次大戦後の新しい絵画運動の代表のひとつとなった。しかし、グループとしての活動は短命で、3回のグループ展を開催し、3年後の1951年に解散している。 |
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