![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
てぃそ ジェイムズ・ティソ
ナントに生まれ、20歳の時に、エコール・デ・ボザールで学ぶためパリに出た。1869年頃、ロンドンに腰を落ち着けた。1860年代にエッチングを始めたが、ホイッスラーと親交を結んだ1870年代に至るまで十分な展開をみることはなかった。1880年には、画家=銅版画家協会の創立者の一人となっている。エルネスト・シェノーは日本の影響を初めて受けたフランス人画家の一人にティソの名を挙げており、ウィリアム・ロセッティの日記には、早くも1865年にティソが日本の美術品を収集していたことが記されている。彼のジャポニスムは、構図上の効果−これは写真術の研究によって一層強調されている−と、日本の衣装やモティーフを模写した絵画や版画に最もはっきりと現れている。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作家
森田恒友とは?【 作家名 】 1881年埼玉県に生まれる。上京して小山正太郎の不同舎に入門。東京美術学校西洋画科にすすみ、卒業後進学していた研究科を1907年(明治40)やめ、石井柏亭、山本鼎らと同人雑誌「方才」を創刊する。また詩人北原白秋らとパンの会を起こす。同年開設された文展に入選。その後一時、秋田や大阪で教員や新聞社に就職するが再上京し、1914年(大正3)渡欧する。帰国後は、セザンヌやドーミエ、またキュビスムに影響された作品を発表する。翌年、二科会の会員になる一方、院展洋画部に出品し、翌年同人に推挙される。また同年、小川芋銭、川端龍子、小川千甕らとともに日本画家の団体珊瑚会を結成。しだいに水墨画家の活動もはじめる。1917年、院展に専念するため二科会を退会。1920年には院展同人とともに日本美術院を脱退、1922年春陽会を結成し、以後ここを中心に活動する。1932年(昭和7)食道癌のため入院し、翌年逝去。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||