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みにゃーる ニコラ・ミニャール
ギリシャのトロイで絵の勉強を始め、その後フランスのフォンテーヌブローに赴き、フランソワ1世の収集した作品などの模写をする。1635年から1637年の2年間をローマで過し、特にアルバーニやカラッチの作品を模写する。フランスに戻り、アヴィニヨンに定住して大成功をおさめた。1663年にアカデミー会員。1664年にはアカデミーの副総長になった。優れた肖像画家としてのその才能を開花させ、ルイ14世やマリー・テレーズなど数多くの肖像画を描いている。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作家
バウハウスとは?【 美術用語 】 1920年代のドイツで近代デザインの中心地となった建築と応用美術のための学校。デザインと工業技術の間に橋をかける重要な役割をはたした。1933年にナチスの圧力で解散してから教授陣と学生が各地に移住したため、バウハウスの理念は多くの国々に広められ、1930年代と40年代における近代主義のシンボルともいえる存在となった。バウハウスの創設は、1919年に、旧ヴァイマール美術アカデミーとヴァイマール美術工芸学校がグロピウスによりひとつにまとめられたことに始まる。グロピウスの最初の思想は、すべてを包含する近代的で構成的な芸術を実現して、モニュメンタルな要素と装飾的な要素の分離をなくそうとするものであったが、さらに1923年には、工業的大量生産用のデザインを行う工芸家が重要であるとした。このため、バウハウスは産業界と密接に関係を持ち、多くの製品を生み出した。その特徴は非個人的で幾何学的で厳格なことであり、むだを省き素材を研究し、洗練された形を持っており、ヨーロッパの建築・応用美術に大きな影響を与えた。 |
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