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きたがわ たみじ 北川民次
1894年静岡県に生まれる。1989年没する。1914年早稲田大学を中退し、兄を頼って渡米。その後ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグで絵を学ぶ。1923年革命後のメキシコに渡る。そこで、生命力にあふれるインディオの原始芸術に接する。また、児童画の世界にも興味を持ち、トラルパンやタスコの美術学校で美術教育者としても活動する。当時のメキシコで盛んだった壁画運動の中心人物であるリベラ、オロスコ、シケイロスらとも交友し、その活動を日本に紹介する役割も果たした。1936年帰国。13年間のメキシコ生活から取材した〈タスコの祭り〉、〈メキシコ・悲しき日々〉などを二科展に出品し、会員に推挙される。その後も、自由な精神に基づいて、民衆の生活を描くことを基本姿勢とし、油絵、版画、壁画、などの制作に力を尽くす。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年)
カテゴリー:作家
浅井忠とは?【 作家名 】 東京都に生まれる。1863年父の死去のため家督を相続し佐倉に帰郷。翌年佐倉藩の絵氏黒沼槐山に花鳥画を学ぶ。1873年上京し、箕作塾で英学を学び、1876年国沢新九郎の彰技堂に入門。初めて西洋画の初歩を学び、工部美術学校に入学してフォンタージに師事する。1878年フォンタネージの帰国後、後任のフェレッティを不満として美術学校を退学。1899年明治美術界を創立。1898年東京美術学校教授となる。1900年渡仏し、パリ近郊のグレーなどに滞在。1902年パリを立ち、イタリア、ドイツ、イギリスを巡歴して帰国。東京美術学校を辞し、京都工芸学校教授に就任して京都に移る。1903年自宅に聖護院洋画研究所を創設。1906年関西美術院を開設し、初代院長となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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