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あう゛ぇど ジャック・アヴェド
父が早世したためアムステルダムの継父のもとで育つ。16歳のとき一時、行商人(フランス語で「カムロ」)をしながらオランダ中を回り、縁日で似顔絵を描く。アムステルダムの工房にしばらくいたあと、パリの流行肖像画家の工房に移り、この頃カルル・ヴァンローやモーリス=カンタン・ド・ラ・トゥールを知る。シャルダンとは終生固い友情で結ばれ、同じような技法を用いるとともに、1730年代にはシャルダンに静物画よりも人物画を描くよう勧めたと思われる。1734年、アカデミーの会員となり、37年から59年までサロンに肖像画を出品して人気を呼んだ。フランスの肖像画が神話になぞらえた華やかなスタイルから変わろうとしている頃、アヴェドはオランダでの経験とシャルダンとの交友から生まれた、人物の心まで正確に表現するような独自の作品を制作した。収集家としても有名で、陶器、東洋の青銅器、彫刻のほか、ヴァン・ダイク、ティントレット、プッサンなど古典絵画の巨匠の作品を多数所有していた。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作家
平福百穂とは?【 作家名 】 1877年秋田県に生まれる。本名貞蔵。四条派の画家である父の平福穂庵から手ほどきを受けた後、1894年(明治27)に上京して、川端玉章に師事する。1897年東京美術学校日本画科に編入学する。1900年、玉章門下の結城素明らと无声会を結成。1913年(大正2)の无声会解散後は、同年に国民美術協会の創立に加ったほか、1915年に川端龍子、小川芋銭らと珊瑚会を結成する。一方文展にも出品し、1914年の第8回展で3等賞を受賞、第9回展で褒状を受け、第11回展では特選となる。1916年には、松岡映丘、結城素明、鏑木清方、吉川霊華らと金鈴者を結成し、翌年の第1回展から1922年の解散時まで出品する。1922年の第4回帝展、1926年の第7回帝展では審査員をつとめ、1930年(昭和5)に帝国美術院会員、1932年には東京美術学校教授となった。大和絵、南画、琳派や桃山時代の絵画、中国古代美術などを広く学ぶとともに、歴史故実も研究し、多彩な画風を展開した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
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