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ふらごなーる アレッサンドル=エヴァリスト・フラゴナール
画家、彫刻家、製図家。ジャン=オノレ・フラゴナールの子。父とダヴィッドに絵を学ぶ。早くから素描にすぐれ、13歳の頃にサロンにデビューした。フランス革命中は「フランス共和国」などの寓意画を描いた。執政政府および帝政期に数多くの素描を描き、帝政期にはセーヴル窯でも仕事をしている。帝政期には彫刻家、画家としての公的な地位を確立した。数多くの宗教画を描き、リトグラフのための素描も多数手がけている。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作家
小川芋銭とは?【 作家名 】 1868年江戸赤坂溜池の牛久藩邸に、留守居役小川伝右衛門の長男として生まれる。幼名不動太郎、のち茂吉と改める。はじめ油彩画を本多錦吉郎に学ぶ。1888年(明治21)「朝野新聞」の客員となり、同紙に帝国議会開設のスケッチや漫画を発表した。この時から芋銭の号を用いはじめる。1893年廃藩置県で牛久に帰農していた一家のもとに帰り、農業に従事しながら制作を行った。「茨城日報」「いはらき新聞」に投稿、1911年小杉未醒と漫画展を開催した。1915年(大正4)平福百穂、川端龍子、森田恒友らと日本画研究団体、珊湖会を結成、1917年には日本美術院の同人となる。以後院展を中心に、沼畔や田園に題材を取った作品を発表した。明治後期に幸徳秋水などと交流し、平民主義の影響を受ける一方、老荘の思想に通じ、書や俳諧もよくした。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
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