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よしだ ほだか![]() 吉田穂高 ![]()
東京に生まれる。1948年日本アンデパンダン展に油彩を出品。49年旧制第一高等学校卒業。52年日本版画家協会展に入選、会員。シエル美術賞三等賞を受賞。62年ルガノ国際版画ビエンナーレで優秀賞受賞。63年リュブリアナ国際版画ビエンナーレに出品。66年写真制版による作品を発表。72年クラコウ国際版画ビエンナーレ。76年リエカ国際オリジナル・ドローイング展で国際審査員名誉賞を受賞。87年山口源大賞を受賞。版画に写真制版を導入したパイオニア。木版とフォト・エングレーヴィングの併用により非日常空間を作り出している。(「THE HIROSHIMA 広島市現代美術館所蔵作品による」図録 1991年)
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カテゴリー:作家
![]() ![]() ![]() ダウとは?【 作家名 】 ![]() マサチューセッツ州イプスウィッチ出身のダウは、5年間のフランス滞在の後ボストンに戻り、ボストン美術館で日本美術の学芸員をしていたアーネスト・フェノロサから日本美術について教わる。長年にわたるフェノロサとの交友関係は、ダウに西洋美術のリアリズムからの離脱を促し、日本美術に内在する抽象性を探求して、新しい西洋美術に応用する可能性を示唆した。1890年代初頭から、ダウは破墨の筆遣いを研究したり、浮世絵を水彩で模写したりして、集中的に日本美術の基礎を学び取ろうと努めた。浮世絵や肉筆画、着物の柄のデザインの見本帖等の収集も同時に始め、ついには数千点を越える膨大なコレクションを築いた。ダウ自身の木版画は、日本の手本と異なり、下絵、版木彫り、全工程を一人で手がけたために、サイズとしては非常に小さなものがほとんどである。だが、それはダウが傾倒していたイギリス経由のアーツ・アンド・クラフツ運動の精神にも適っていた。1899年に彼が出版した『構図』は、日本美術のエッセンスを応用したデザインのマニュアルで、アメリカの美術教師や学生に大変人気のある教科書となった。(M.Y.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録) ![]() ![]() ![]() |
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