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ふぃりっぷ る ば

ジャック=フィリップ・ル・バ

版画家。17世紀の版画作品に学び、エッチングのベースに強いコントラストを用いることを好んだ。1733年に版画スタジオを開き、まもなくそこはパリで最も多忙な版画スタジオとなる。貴重な版画原板を収集し、それをもとに弟子を育成した。18世紀の最も優れた版画の多くは、ル・バのスタジオで制作されている。1735年にアカデミーの会員となり、1741年に出品を拒否されるが、翌年には復帰し、1771年アカデミーの評議員となる。ル・バは流行が変化することを嫌ったが、売れ行きの悪い作品を制作することはなく、その作品は18世紀の美術愛好家の趣味をよくつたえている。ル・バはまた、ドライポイント技法を用いた最初の版画家でもある。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)


カテゴリー:作家
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ホフマンとは?【 作家名 】

1870年、モラヴィアのブルトニッツェで生まれる。 オーストリアの建築家。師オットー・ヴァグナーの合理主義的な造形原理を長く継承したが、ホフマン自身は、禁欲的なロースのスタイルとは対照的な優雅さや繊細さを好む傾向があった。手工芸に関心を示し、1899年以降、ウィーン工芸学校で教鞭をとり、またウィーン工房の創立者の一人に名を連ねた(1903)。1897年にはオルブリヒらと「ウィーン・ゼツェッション」を組織。この頃にはマッキントッシュらのグラスゴー派から影響を受け、またアール・ヌーヴォーの造形原理をやや遅れてオーストリアに導入するのに努力した。1905年にゼツェッションが分裂したときにはクリムトのグループに加わった。代表作は、陸屋根の厳格な形態を見せるプルケルスドルフ・サナトリウム(1903)、ブリュッセルのストックレー邸(1905)。1914年にはドイツ工作連盟のケルン展にオースリトア館を出展、戦後の1920年には、ウィーン市建築官となる。ル・コルビュジエやバウハウスの新様式が力を得はじめるにつれ、ホフマンの個性的な作品はやや時代遅れとみなされるにいたり、彼自身も新傾向の純粋主義的な禁欲的なスタイルに歩調を合わせた。1956年、ウィーンで歿。

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