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ふぃりっぷ る ば ジャック=フィリップ・ル・バ
版画家。17世紀の版画作品に学び、エッチングのベースに強いコントラストを用いることを好んだ。1733年に版画スタジオを開き、まもなくそこはパリで最も多忙な版画スタジオとなる。貴重な版画原板を収集し、それをもとに弟子を育成した。18世紀の最も優れた版画の多くは、ル・バのスタジオで制作されている。1735年にアカデミーの会員となり、1741年に出品を拒否されるが、翌年には復帰し、1771年アカデミーの評議員となる。ル・バは流行が変化することを嫌ったが、売れ行きの悪い作品を制作することはなく、その作品は18世紀の美術愛好家の趣味をよくつたえている。ル・バはまた、ドライポイント技法を用いた最初の版画家でもある。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作家
ベルガーとは?【 作家名 】 1892年ウィーンに生まれる。1911年よりウィーン工芸学校在学。O.シュトルナートとJ.ホフマンに師事。ウィーン工房のためにテキスタイル、銀器をデザインした。同じく工房に参加していた、O.レンゲッテが1917年に編集したモード雑誌『婦人世界』のグラフィックに協力。ビミニ社のためのガラス器をデザインした。ウィーン市の建築計画に従事1920−36年、30本以上の映画のセットの仕事をし、代表的なものに1920年の「王子と乞食」、1923年の「デア・ユンゲ・メダルドウス」、1927年の「カフェ・エレクトリック」などがある。1936年からモスクワに移り、1981年同地で歿。(「ホフマンとウィーン工房展」図録 1996年) |
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