版画家。初め父に学び、1836年にエコール・デ・ボーザール会員となる。1838年にローマ賞のコンクールで二等賞を獲得し、イタリアに留学。1840年にドメニキーノの作品にもとづく版画でパリのサロンにデビューした。最初の主要な肖像画の版画作品において完璧な版画技量をみせ、パリと
ロンドンの出版社の庇護を得る。後、当時流行の書体を版画にとり入れるなどしている。また、エルネスト・メッソニエやローレンス・アルマ・タデマの作品の複製制作を専門に行っている。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)