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ろんげいゆ ジョゼフ・ド・ロンゲイユ
版画家。パリでジャン=フィリップ・ル・バのスタジオなどで学ぶが、おもにヨハン=ゲオルク・ウィルのもとで学ぶ。イタリア、ドイツ、オランダへの旅行の後、本の挿絵のための版画を主として制作するようになる。出版社からの注文にたいして、ロンゲイユ自身はアウトラインを描くのみで、実際の版の制作はほかの作家が行った。自分自身で制作するわかりに、1776年にはルイ16世とマリー・アントワネットのために2点の寓意画を制作し、そのために額縁を特注し、シャルル=ニコラ・コシャン(子)に素描を、サン=トーバンに胴版の制作を依頼している。それによって「王の版画家」としての特権を得るとともに、「コンデの王子の版画家」の称号を得ている。作品数は500点をこえる。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作家
グルーズとは?【 作家名 】 ロココ絵画の絶頂期にあって、市民の道徳観、倫理観を反映した教訓画を描いた画家。グランドンのアトリエで学んだ。その後、師とともにパリに出てアカデミーの美術学校に入学した。1755年サロンに出品して一躍有名になる。その教訓的、感傷的な作風は広く一般に親しまれた。特にロココ的な感覚をひそめた少女たちの肖像画は愛らしく、その半身像や顔を数多く描いて名声を得た。晩年、革命以後は財産、名声ともに失い、不遇の中で世を去った。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年) |
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