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ろんげいゆ ジョゼフ・ド・ロンゲイユ
版画家。パリでジャン=フィリップ・ル・バのスタジオなどで学ぶが、おもにヨハン=ゲオルク・ウィルのもとで学ぶ。イタリア、ドイツ、オランダへの旅行の後、本の挿絵のための版画を主として制作するようになる。出版社からの注文にたいして、ロンゲイユ自身はアウトラインを描くのみで、実際の版の制作はほかの作家が行った。自分自身で制作するわかりに、1776年にはルイ16世とマリー・アントワネットのために2点の寓意画を制作し、そのために額縁を特注し、シャルル=ニコラ・コシャン(子)に素描を、サン=トーバンに胴版の制作を依頼している。それによって「王の版画家」としての特権を得るとともに、「コンデの王子の版画家」の称号を得ている。作品数は500点をこえる。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作家
タルとは?【 作家名 】 ネグリチュードの詩人としても知られた文人大統領サンゴールが打ち出した、新生セネガルの発足に際しての文化振興政策の思想は、アフリカの伝統的な精神をベースにして、西欧近代の物質文明を同化してゆこうというものであった。当時、パリから戻ったばかりのパパ・イブラ・タルは、サンゴールの理想の実現に向けて、ダカールの若い美術家たちを指導し、積極的に助言をあたえるなどした。やがて、これら一群の作家たちをエコール・ド・ダカールと呼び称するようになるのだが、彼らは仮面や神像などの伝統的なモチーフをキュビスムの手法を取り入れて、半抽象の様式で描くことに活路を見いだした。1966年、ダカールで開かれた第一回世界黒人芸術祭で、エコール・ド・ダカールは華々しく登場することになる。パパ・イブラ・タルも、この時にイバ・ンジャエによって企画された〈現代美術−傾向と対峙〉展に出品している。ここではエコール・ド・ダカールの第一世代の美術家たちがどのような顔ぶれであったのか、よく知ることができる。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) |
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