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あんりける でゅぽん ルイ=ピエール・アンリケル=デュポン
製図家、版画家。1812年から15年にかけてエコール・デ・ボーザールで絵を学ぶ。1820年代後半からはアングルと交友を持つ。16、17世紀の名作版画を模写し、研究。1849年にアカデミーの会員となる。1853年のサロンにポール・ドラローシュの作品による版画作品を出品し、名誉メダルを受ける。後年は宗教画、肖像画を多く手がけるようになる。1863年に国立美術学校のグラフィックアートの教授となり、1871年にはアカデミーの会長に選出されている。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作家
カミーユ・ピサロとは?【 作家名 】 デンマーク領、西インド諸島セント・トマス島に生まれる。1855年画家を志してパリに行き、コロー、クールベに感銘して風景画を描く。1859年にはモネに会う。サロンに数回出品するが落選し、1863年の落選展に出品する。普仏戦争中の1870年、一時ロンドンへ亡命し、モネとともにイギリスの風景画を研究する。印象派展に1874年の第1回から86年の第8回まで毎回出品を続け、印象派の代表的作家の一人となる。また、セザンヌ、ゴーギャンやスーラ、シニャックを印象派に導いた人格者でもある。穏やかな田園風景や街並みを多く描く。一時スーラの新印象主義にひかれ、点描の技法も用いる。パステル、グワッシュにも佳作が多い。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年) |
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