![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
あんりける でゅぽん ルイ=ピエール・アンリケル=デュポン
製図家、版画家。1812年から15年にかけてエコール・デ・ボーザールで絵を学ぶ。1820年代後半からはアングルと交友を持つ。16、17世紀の名作版画を模写し、研究。1849年にアカデミーの会員となる。1853年のサロンにポール・ドラローシュの作品による版画作品を出品し、名誉メダルを受ける。後年は宗教画、肖像画を多く手がけるようになる。1863年に国立美術学校のグラフィックアートの教授となり、1871年にはアカデミーの会長に選出されている。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作家
ブーシェとは?【 作家名 】 18世紀フランスのロココ絵画を代表する画家。20歳でアカデミーの大賞を獲得。その後イタリアに遊学。ここでベネチアの絵画に深い感銘を受ける。帰国後、アカデミー会員となる。後に会長に就任し、ヴェルサイユにおいては、ルイ15世の主席宮廷画家となって、ポンパドゥール夫人の絵画教師もつとめた。彼の芸術活動は実に幅広く、ヴェルサイユ宮の装飾、タピスリーやセーヴル陶磁器のデザインのほか、オペラ座の舞台デザインをも手がけた。絵画においては永遠の女性ヴィーナス礼賛こそ彼の一生を賭けたモチーフであった。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||