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あんりける でゅぽん ルイ=ピエール・アンリケル=デュポン
製図家、版画家。1812年から15年にかけてエコール・デ・ボーザールで絵を学ぶ。1820年代後半からはアングルと交友を持つ。16、17世紀の名作版画を模写し、研究。1849年にアカデミーの会員となる。1853年のサロンにポール・ドラローシュの作品による版画作品を出品し、名誉メダルを受ける。後年は宗教画、肖像画を多く手がけるようになる。1863年に国立美術学校のグラフィックアートの教授となり、1871年にはアカデミーの会長に選出されている。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作家
丸山晩霞とは?【 作家名 】 長野県に生まれる。本名は健作。1884年上京し、勧画学舎に学ぶが1年足らずで帰郷。1888年再び上京し、本多錦吉郎の彰枝堂に学ぶ。1890年、第3回内国博覧会に油彩画を出品。1895年、吉田博と出会い、水彩画に興味を抱く。1990年満谷国四郎、河合新蔵らと渡米。その後ヨーロッパを巡って翌年帰国。太平洋画会の創立に参加。大下藤次郎らと水彩画講習所を開き、さらに日本水彩画会研究所へと発展させた。1911年再渡欧。1913年に日本水彩画会の創立に参加。評議員となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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